学校教育における教科書検定制度の権力性と教師用指導書の暴力性
今回は「学校の教科書の呪縛」をテーマで書いていきます。

この記事を読むことで理解できること
◎学校教育と宗教には、どこに類似性があるのか?
◎学校教育と宗教には、どこに相違性があるのか?
◎学校の教科書に内在している「権力」とは?
◎学校の教科書を通した解釈の「暴力」とは?

過去、教科書を通じた学校の授業に対して理不尽な思いをした経験があれば、その元凶もわかると思います。

学校の宗教性


この記事のメインキーワードは「教科書」です。

まずはその教科書の位置づけ・役割を明確にするために、学校と宗教との比較から入りたいと思います。実は、私たちが受けてきた「学校教育」は「宗教」と共通する側面を持っているのです。

学校教育と宗教の類似性


まず、宗教には「独自の施設・独自の教典・独自の歌」の三つを持ち合わせているという特徴があります。


【キリスト教】

・施設…「大聖堂・教会」
・教典…「旧約聖書・新約聖書」
・歌…「賛美歌」


【イスラム教】

・施設…「モスク」
・教典…「コーラン(クルアーン)」
・歌…「ナシード」


このように、宗教においては、共通の価値観を持った人たちが、共通の空間で、共通の教典をバイブルとし、共通の歌を歌うという側面を持っているのです。

そして、私たちが受けてきた学校教育もこれと同じ側面を持っています。学校教育も「空間・教典・歌」の三つを集団で共にする性質があるのです。


【学校教育】

・施設…「学校・教室」
・教典…「教科書」
・歌…「国歌・校歌」


皆と同じ教室で、同じ教科書を使って勉強し、式典の際には皆と同じ歌を歌う…この集団活動を通して、私たちは幼い頃に共通の価値観が形成されることになるのです。

そのように考えると、空間・教典・歌は、人々に共通の価値観を形成・強化する上では非常に有効なアイテムと言えます。

学校教育と宗教の相違性


ただ、この両者には大きく違う点があります。それは、その三つを共有することが「任意」なのか「強制」なのか、という点です。

宗教に関しては信仰は自由であり、強制ではありません。入信の義務などありませんので、基本的には有志を持った人が自ら意思で集まり、特定のアイテムを共有することで信仰心や結束を強化するという特徴があります。

一方、学校教育に関しては義務教育という名のもとに、その空間に身を置くことは実質的には強制になります。直接的に義務を課されているのは保護者ですが、その保護者の義務を通して、間接的に価値観の共有を強制されるのが学校教育なのです。

両者の違いを一言でまとめると、次のようになります。

◎宗教・・・「内面→制度」(内→外)
◎学校・・・「制度→内面」(外→内)

信仰心という内側の心が先にあり、その心を持った人たちの活動によって外側の組織や制度が強化されるのが宗教。一方で、自分の外側に制度化されたものが初めにあり、幼いうちからそこに属することによって内面に特定の価値観が形成されるのが学校教育です。「内面が先か・制度が先か」という違いですね。

つまり、学校教育においては、私たちはその学校制度という外側の基準によって幼いうちから特定の価値観を植え付けられるということです。

そしてその価値観を植え付けるアイテムの一つが、今回のメインキーワードになる「教科書」なのです。

学校の教科書の特徴「権力性と暴力性」


ここまで、学校の教科書の位置づけを明確にしてきました。

では、ここからは「私たちが教室の中で普段何気なく使っていた教科書がどんな力を持っているのか」を考えていきましょう。

教科書の権力性「国の思惑が反映されている」


学校の教科書と特徴として、まず一つ目に挙げられるのは次のことです。

学校の教科書は「国の思惑」から解放されることはない

これは、日本の学校で使用する教科書は原則「文部科学省検定済」のものに限られるということです。文科省の検定を通過しないものは、学校のメイン教材として使用できないのです。

この検定制に関して、そのプロセスは以下の画像の通りです。



学校の教科書は、まずは教科書会社によって、文科省が示す「学習指導要領」に即した形で見本が作成されます。(学習指導要領とは、文科省が各教科ごとに教えるべき内容を定めたものです。大体10年に1回くらいのスパンで改訂されます)

そして、その作成したものを「教科用図書検定」に申請し、文科省が合格の烙印を押すと、その教科書は学校で使用可能なものになります。逆に、検定を通過せずに、文科省から意見通知や不合格通知が出されると、それは(そのままでは)学校で使用できるものにはなりません。

つまり、国が認めたもの以外の内容は、基本的に学校で生徒の目に触れることはないのです。

すると当然、教科書を発行する側も、ある程度検定を通過するために作ることになります。その結果、結局どの教科書会社も同じような内容のものになることが多いのです。実際に「複数の教科書会社で国語の文章の題材が同じ」「その題材を通して国の狙い通りに特定の道徳的価値観を植え付けられる」なんてことは頻繁にあることです。

つまり、学校で何をどのように教えるべきかは国がガイドラインを示しており、それにそぐわない(不都合な)内容は学校で学ぶことはできないんです。そのような意味では、学校での学びは「国の思惑」から自由にはならないということです。

教科書の暴力性「教師用指導書が唯一の正解になり得る」


そして、教科書の特徴の二つ目として挙げておきたいのが次のことです。

学校の教科書には「教師用指導書」が用意されている

この教師用指導とは、先生が授業をする際の参考書のようなものです。実際にその指導書には「学習の狙い・生徒に対する発問のパターン・模範解答・板書案」など、先生が授業を進行する上で役立つポイントが詳細に書かれています。

イメージとしては、「指導書に書かれている通りに授業をすれば、その単元の知識がなくても授業として成立してしまう」と言えるくらい、事細かにポイントが書かれているのです(公立の小学校の先生が何教科も教えることができるのは、この指導書があるからです)

この教師用指導書に関して、特に厄介になるのは国語の授業です。実際にこれまでの学校の国語の授業で、こんな経験をしたことはないでしょうか?

「登場人物の気持ちを考えましょう」「登場人物はなぜこのような行動を起こしたのでしょう」といった、人も気持ちや人の行動の理由を問う問題が授業中に出され、最終的に正解が提示されるものの、なぜそれが正解になるのか納得がいかない

…という経験。

これに関して、納得いかないのは当然です。本来、他者の気持ちや行動の理由に対して、そんなに簡単に正解を出せるものではありません。状況によっては幾通りもの解釈ができるのであり、本人ではない限り正解を一つに決めることなどできないのです。

では、なぜ授業中に先生は正解を提示できるのか?

それは簡単です。教師用指導書にそれが正解だと書いてあるからです。先ほど述べたように、指導書には「生徒にどんな問いを出し、どんな解答を提示すればいいか」が細かく書かれています。そして国語の場合、その読み取り方には生徒に植え付けるべき道徳的価値基準が多分に含まれているのです。

もし、あなたが小学校や中学校で上記のような経験をしたのであれば、それは指導書をなぞるだけの機械的な授業をするロボット教師の授業を受けたということになります。その指導書をなぞって授業をしている先生に、一つの答えを押し付けられただけなのです。

つまり、教師用指導書に書かれていることをなぞれば、生徒に解釈の自由を与えずに正解を一つに決めてしまうような授業も、やろうと思えばできてしまうことになります。

このように、教科書の使い方次第では、学校での学びは解釈の自由に制限が加えられるものにもなり得るのです。

学びの本質とは?


これまで述べてきたように、学校で教科書を使った授業は次のような側面を持っています。

◎国の思惑から自由になることはない
◎解釈の自由に制限が加えられることがある

そしてそれを通して、特定の道徳的価値観を植え付けられることもあるのです。冒頭で述べた「外側の基準によって内側(内面)が規定される」というのはそういうことです。

しかし、本来学びとは、主体的だからこそ意味があるものです。自分の内側から・心の底から情熱を持って学びたいと思えることからスタートすることに価値があるのです。

なぜ、そのように言えるのか?

それに関してはこちらの動画にまとめておきましたのでご覧ください。


この動画からもわかる通り、学校の勉強をしているだけでは主体性など育まれることはなく、本当の意味での「生きる力」を育むことはできません。いくら新しい学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」と言ったところで、それを外から与えて内面を規格通りに育て上げようとするシステムの中では、それは実現できないのです。

本当の意味での「生きる力」を身につけるには、学校という空間の外での学びも必要不可欠になります。

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