古典の授業はいらない!

このように思っている人は非常に多いです。学校で古典の授業を受けてきた経験をもとに、多くの人は「役に立たない」という意見をもつのでしょう。

最近、ビジネスをしている人にもこのようなことを言っている人もいました。今日はこの「古典」についての私独自の見解を書いてみようと思います。


「あしひきの 山のしづくに 妹待つと われ立ち濡れぬ 山のしづくに」


これは「万葉集」に収められている男女の恋愛における和歌なのですが、下の句に「われ立ち濡れぬ」という表現があります。

男女の恋愛においての句に勃つとか濡れるとか表記している古典、今後面白い文章を考える自分にとっては非常に役に立ってるんだけどな~

うん、役に勃ってるんだけどな~

…と冗談はさておき、以下ではまじめに書きましょう。


古典学習の意義



5年間進学塾で古典を含む国語を教えていた私に言わせると、“古典自体”は間違いなく世の中に必要です。ただ、一般的な学校で教わるようなスタイルの“古典の授業”であれば、正直いらないと思っています。

まず、現存の古典の文献には、当時の歴史を背景にした個人の価値観・考え方が色濃く反映されています。

例えば『更級日記』であれば、平安中期という時代を背景に、中流階級の女性(菅原孝標女)の一生の中での心の推移が実生活の描写とともに鮮明に描かれているのです。

具体的には…

「幼少のころは『源氏物語』に出てくるような華やかな生活に憧れをもち続けていたが、後に大人になって自分が宮廷での生活を実際に経験してみると、そこでの生活は自分の理想とはかけ離れた退屈な人生であることを知り、それに絶望した作者は、果てには信仰心をもつようになり、来迎を頼みとして余生を送る」

理想と現実のギャップを感じて挫折し、最終的には宗教的な心を拠り所とする心の推移が、作者のほぼ一生(40年間)の実生活と共に具体的に描写されています。

このように、古典の文献には当時の歴史を背景にした「個人の生き方・人生観」がその人自身の手によってリアルに記されているのです。

そのような人生観にあなたが共感を持つかどうかは別として、またその生き方が今の時代に通用するかどうかも別として、当時の歴史をもとにした人々の生き方を詳しく学ぶこと自体は非常に重要だと思います。

…なぜ重要かわかりますでしょうか?
もしわからないという人がいれば、次の質問に答えてみてください。


「これから数百年後、あなたの生き方も未来の人からすると古典になります。その時、未来の人にとって、先人であるあなたの生き方・人生観は全く参考にならない要らないものになるんですか?未来に有益なものを示すことができない、そんな薄っぺらい人生をあなたは今歩んでいるんですか?」


これに対して「イエス」と答えるのであればそれまでです。薄っぺらい人生を歩む人には古典に記されている先人の人生観を学ぶ重要性も認識できません。

そして「ノー」と答えるのであれば、古典自体の重要性もわかるでしょう。あなたが今の時代を背景として自分自身の生き方で価値を見出そうとしているように、先人も同じようなことをして記録に残しているのです。

古典の書物は当時の人からすると、未来のあなたに向けて発したメッセージでもあるのです。それをメッセージとも受け取れず「ただ現代語訳して…」みたいな授業しか受けておらず、古典をくだらない一科目としてしか認識していないから「古典は意味がない」と感じてしまうんです。


一般的な古文漢文(古典)の授業であれば要らない



そのため、私としては多くの学校で行うようなスタイルの授業は正直今すぐやめていただきたいと思っています。

具体的には、
①授業の前に宿題として生徒に予習させる
②授業中は生徒に当てて主に一文一文現代語訳をさせる
③テストでは授業で扱った文章を載せる
といったやり方。

このやり方はもう最悪です。もはや何の意味もありません。古典の重要性を認識することはおろか、大学受験に合格する力すらつきません。これではせいぜい個別の文法問題に強くなるだけです。

具体的にマズイ点は以下の通りです。


①【授業の前に宿題として生徒に予習させる】
普通の高校生がいきなり古典の文章を渡されてもまともに予習なんかできません。もはや文章を理解するのに何をどう調べればいいのか、ということすらわからないのです。

どう取り組んでいいかもわからない状況での予習は非常に効率が悪いです。時間がもったいない。いきなり予習をさせるという行為はある面では教師の怠慢といえます。

②【生徒に当てて主に一文一文現代語訳をさせる】
現代語訳は部分的に必要ですが、全文をくまなく訳させて結局何になるんですか?時には「この文はこういう意味です」と無理やり訳を提示し、なぜそのような解釈になるのか説明しない先生がいますが、そのような先生に一言いいたくなります。

「いやいやいやいや、あなたには指導書や現代語訳が手元にあるからそのように言えるだけでしょ?」

③【授業で扱った文章をそのままテストに載せる】
これは言うまでもないでしょう。授業で扱った文章の現代語訳と大まかな内容を理解しておけば高得点がとれる…もはや何を試すテストなんですかね?


しまいには、古典を教えているくせに「古典自体は役に立たない」などとほざく教員もいます。正直そんな人は死ねばいいと思っています。伝道師の中にそのような低レベルの教師が混ざっているから、世の人に古典の重要性が認知されないのです。

これでは古典の授業は単なる時間のムダになってしまいます。こんな程度の下級講師に教わるくらいであれば、学校ではプログラミング言語などを教えた方がずっと有益でしょう。

歴史を知る重要性は以前示した通りですが、その歴史をもとに一個人がどのような生き方をしていたのかを文献をもとに具体的に解釈することで、当時の歴史の理解も深まり、より鮮明になります。

そして、文献というのは研究が進むにつれて解釈も変わってきますので、今後も古典の研究が廃れることはないでしょう。そしてあなたの生き方も今から数百年後には、古典の研究対象となっているかもしれません。

というわけで、古典は社会の役に立たないと言って批判している人に対して一言だけ言っておきましょう。


古典の重要性もわからずに批判してるお前なんかよりはずっと社会の役に立ってると思ふ