今回は「お金と常識」というテーマで書いていきます。

この記事を読むことによって、
◎「会社からお金を与えられる」タイプの人間
◎「自分でお金を生み出せる」タイプの人間
この両者それぞれの特徴をはっきりと理解できるようになります。

そしてそれぞれの特徴や違いを理解することによって、年収と学歴に相関関係がない理由も明確になり、その内容がこれから自分がお金を生み出せる側に回る際に役立つことになりますので、しっかりと最後まで読んでほしいと思います。

それでは、まずはこちらの動画からご覧ください。


以下、この動画の内容に沿って解説していきます。


前回の記事のおさらい


初めに、前回の記事「なぜ会社を辞めたいのに辞められない?その理由は学校教育にあった!」のおさらいをしておきます。

前回の記事では、
私たちがこれまで学校で受けてきた教育は、産業社会に適した人間を育成するためのものであり、したがって学校で教わったことを常識としているだけでは、変化の激しいこれからの社会を生きる力は身につけられない
ということを、学校の義務教育が成立した背景も踏まえた上で解説しました。

つまり、変化の激しいこれからの社会を生きていくには、これまでの教育を通して自分の中に形成された常識を一度取っ払い、逆にこれまで学校で教わってこなかったものの見方や考え方を新たに取り入れる必要があるということです。

これまでの学校教育の延長線上にある「会社から給料を与えられる」ことを通した生き方ではなく、これまで学校で教わってこなかった「自分の力でお金を生み出せる」ことが重要になるというのは、これまでの過去の記事で何度も述べてきた通りです。

そして、この「会社から給料を与えられる」ことを常識とするタイプの人間と、「自分自身でお金を生み出す」ことを常識とするタイプの人間とでは、その言動に様々な違いが見られます。両者には、それぞれに複数の際立った特徴というのがあるのです。

では、両者の言動には、具体的にどのような違いがあるのか?

今回は、この両者の言動や思考の特徴を明らかにしていきますので、その内容を、今後自分がお金を生み出せるレベルになる際に役立ててほしいと思います。


「会社から給料を与えられる人」と「自分でお金を生み出せる人」

仕事は会社から与えられるものか、自分で作るものか


まず、会社から給料を与えられるタイプの人間は「仕事は会社から与えられるもの」という発想をもっています。会社から一定の役割と仕事が自分に与えられ、その役割に従って職務を遂行することを常識としているのです。

そこでは「特定の部署に配属され、その部署の中で業務を割り当てられる」といった形で、自分が会社の歯車の一部となって働くことになります。いわば、与えられたルールの中で働きお金をもらうスタイルです。

一方、自分でお金を生み出せるタイプの人間は「仕事は自分で作るもの」という発想を持ちます。このタイプは、他人が決めた方針に沿って働くのではなく、方針そのものから自分で決めて行動するのです。

そこでは、自分は会社の歯車の一部になるのではなく、その歯車を一から作る側に回ることになります。いわば、他人が作ったルールを土俵とせず、自分でルールを作ってお金を生み出すのです。

そしてこの両者のうち、多くの人は「前者」になりがちです。どれだけ仕事熱心な人であっても、多くの人は与えられたルールの中で必死に頑張ろうとするのです。

もちろん、組織の中にいる以上は会社側からすればそれは望ましい行動ではあるのですが、自分でお金を生み出せるようになりたいのであれば発想そのものを変えなければいけません。

「会社に与えられたルールの中でしっかり業績を上げて、課長に出世してやろう」と考えるのではなく、「そのルールの外に飛び出して一から事業を立ち上げて、自分は社長になってやろう」と考える

こういった発想を持てる人が、自分の力でお金を生み出せる人なのです。

では、なぜ多くの人は前者の発想になってしまい、そこから抜け出せずにいつまでも自分でお金を生み出せるようにならないのか…?

それは、これまでの学校教育が「決められたルールの中で生徒に頑張らせる」という、前者と同じ仕組みになっているからです。学校のテスト勉強をどれだけ頑張っても、どれだけ優秀な成績を収めても、それはあらかじめ決められたルールの中で頑張ったという結果に過ぎません。

それによって「先生からは褒められ、学校内では表彰される」かもしれませんが、それは「上司から褒められ、会社の中で表彰される」ことと同じであって、自分でお金を生み出せることとは全くの別物です。

「高い学歴を持っていること」と「自分のビジネスで成果が出せること/年収が高いこと」に必ずしも相関関係がないのは、こういうところに原因があると私は思っています。

与えられたルールの中で成果を収めることと、自分でルールを作って成果を出すことは全く違います。自分でお金を生み出せる人は、自分でルールを作るという発想をもてる人なのです。

仕事からの解放か、仕事への没頭か


また、給料を与えられるタイプの人間は、基本的に「仕事からの解放」に安らぎや充実感を覚えます。それは、仕事自体が他から与えられたものであり、自分で一からやると決めたことではないからです。

自分で一からルールを作ってやると決めたことではないという点では、その仕事に本当の意味で主体的に関わっているとは言えないので、どうしても「命じられたタスク・こなすべき作業」という義務感が伴うのです。

そうすると、業務中は「早く終業時間にならないかな…」と、仕事が終わるのを待ち遠しく感じることが多くなります。逆に休みの日は、夕方あたりの時刻になると「明日からまた仕事行くの嫌だな…」と、憂鬱になってサザエさん症候群に陥ることも多いのです。

一方、自分でお金を生み出せるタイプの人間は「仕事への没頭」に充実感を覚えます。なぜなら、その仕事はルールも含め、一から全て自分自身で決めたことだからです。自分で目標を決め、その目標を達成するまでの計画や辿るべき道筋も自分で決めるからこそ、主体的に関わる度合いが強く、それに没頭できるのです。

したがって、このタイプの人間は、時間の経過も忘れ、寝る間も惜しんで仕事をするということも少なくありません。前者のタイプの人が苦痛だと思うことも、苦痛だと思わず進んでやろうとします。自分が設定したゴールに近づいている感覚に充実感を覚え、そのための作業に情熱を持てるからです。

結果的に、仕事に従事している時間だけを考えれば、完全にブラック企業以上の働きぶりになることも多いです。自分でお金を生み出せる人は、それ自体を苦だと思わず進んでやっているのです。

いわば、前者は仕事を「会社から与えられたもの」であり「やらねばならないもの(have to)」と捉えているのに対して、後者は仕事を「自分がやると決めたもの」であり「やりたいもの(want to)」として捉えていると言えます。

仕事を苦痛だと感じるのか、楽しいと感じるのかは、その仕事に主体的に関わっている度合いによります。仕事が与えられたものであるのか、それとも自分の人生を通して大きく成し遂げたいゴールへの手段として設定できているのかで、それに伴う作業が苦痛だと感じるかどうかは全く異なるということです。

仕事の日と休みの日の明確な区分があるか、ないか


また、給料を与えられるタイプの人間は「仕事の日と休みの日の明確な区分がある」という特徴があります。このタイプの人間は、

・「給与が発生している時間=仕事の時間」
・「給与が発生していない時間=自分の時間」

・「会社に拘束されている時間=仕事の時間」
・「自由に使える時間=自分の時間」

…といった区分を持っています。言動としては「休みの日は何してるんですか」と他人に聞くような人は、このタイプの典型です。この質問は、仕事と休みを明確に分断した上で「仕事が全くない日は何をしているんですか?」という意味だからです。

一方で、自分でお金を生み出せるタイプの人間は「仕事の日と休みの日の明確な区分はない」場合が多いです。

一般的な従業員のように時間をお金に換えているわけではないので「この作業をしている時間はお金が発生している時間」といった概念はありません。また、先ほど言ったように、ルールも一から自分で決めて自由な意思で仕事をしているので「誰かに拘束されて作業を強いられている」という感覚もありません。自分で決めた目標に近づくことを常に考えているので、「この日は仕事/この日は休み」という明確な区分もないのです。

特に、現代の情報化社会では、インターネットを活用することで場所の制約なくビジネスができるので、お金を生み出せる人の中でもこのような感覚を持つ人は殊更多くなっています。産業社会の時代であれば、「会社に行く日は仕事の日/会社に行かない日は休みの日」という区分は一般的でしたが、今は会社に行かずに家でもビジネスができるのです。

そんな中、「休みの日は何しているんですか?」と聞かれても、自分でお金を生み出しているタイプの人間は困ることが多いです。このタイプの人間は、家でYouTubeを見ている時でも、友人と食事をしている時でも、旅行に行った先でも、常に自分で決めた目標を達成するためのヒントを得ようとしているからです。どこで何をするにしても、常に自分のビジネスにコミットしているので、仕事と休みを明確に分断するフレームがないのです。

そのフレームがない人に対して、そのフレームを前提とした質問をしても、質問の意図に沿った回答はできません。この質問に正確に回答するとすれば「あなたの理解できる枠に収まるようなことはしていません」となりますが、現実的にそのように答えることはないので、ほとんどの場合は当たり障りのない回答をして終わります。

両者はフレームが違うので、話も噛み合わないのです。

過去を語るか、未来を語るか


さらに、給料を与えられるタイプの人間の中でも、与えられた仕事をこなすだけで主体的に自分で目標を設定できないような人は「食事や飲みの席で過去を語ろうとする」という特徴があります。

これから自分が強く成し遂げたいと思える目標がないと「未来」には触れられず、今の仕事に苦痛を感じていると「現在」からも逃れたくなるので、結局「過去」を回顧するしかなくなるのです。

その結果「あの頃は〇〇だったなぁ…」と古き良き時代を懐かしんで自分達を慰めるくらいしかすることがないのです。頻繁に同窓会を開催して事ある度に昔の友達と会おうとする人間はこのようなタイプです。

一方、自分でお金を生み出せるタイプの人間は「食事や飲みの席で未来を語ろうとする」傾向が強いです。

一から自分でルールを決めて成し遂げようとしているゴールがあるので、食事の席でもそのゴール達成に向けて「これから〇〇をしていこう」という話になります。常に未来を見て、自分のゴールを実現できることにワクワク感を抱いているのです。

そうすると、先ほどと同じで当然両者の話は噛み合いません。前者からすると、後者の人間を見て「飲んでる時ぐらいは仕事の話はやめようよ」という感覚になりますし、逆に後者からすると、前者の人間に対して「目標のないつまんない人間だな」という印象を持つのです。

あえて人間的にどらちが優れているかという話はしませんが、ただ一つ言えることは、自分でお金を生み出せるようになりたいのであれば、前者が集まる飲み会には絶対に出席してはいけません。はっきり言って時間の無駄です。


情熱を伴う目標も持てなくなった人々


ここまで述べてきた通り、自分でお金を生み出せる人というのは、自分自身で目標を設定してその達成に向けて一からルールを作って行動できる人間です。

しかし、学校ではそのようなことを教わりません。学校では、あらかじめ決められたルールの中で行動させられ、そのルールからはみ出た行為は禁止され、先生の理解を逸脱する行為をする生徒や集団とは明らかに違う行動をとる生徒は叱られる対象になるのです。

そして、私たちはそのような過程を経て「常識」というものが徐々に形成されます。

しかし、これまで述べてきた通り、そこで形成されるのは「お金を生み出せない側の常識」です。前回の記事の言葉を使うのであれば、「従順で忍耐強い労働者としての常識」なのです。

そして多くの人は、集団行動の中で形成された常識をもったまま大人になり、あらゆる事柄をその常識の枠に収めて理解しようとします。すると、お金を生み出せる人の言動は、自分の常識の枠に収まらない・理解できないものなので、その言動を見聞きした時に「それはおかしい!」と批判するという行動に出るのです。

「お金を生み出せる人の言動が、お金を生み出せない多くの人によって批判され、SNSなどで炎上する」というよく起こる現象は、このようにして生まれます。現に、そのような炎上の構図を俯瞰すると、批判の対象になっている人は批判している人よりも明らかに経済的に強い人間です。

私たちの多くは、学校では自分独自のルールで動くことを禁止され、目標を持って自分のやり方で実現するという考え方を教わりません。そして決められたルールの中で皆と同じ行動を強いられることで、徐々に独自のやりかたを貫くスキルは失われていきます。

独自のやり方で目標を実現することができないことがわかると、次第に大きな目標を持つこと自体をも失います。そして、自分の夢や目標を持つことを忘れた人間は、未来を楽しく語ることができず、先程言ったように過去を回顧するか、あるいは夢を持った他者を批判することでしか、自分を慰めることしかできない、そんな大人になっていくのです。

その全ての元凶が、学校教育にあります。

これまでの教育で形成された常識を一度払拭し、新しいものにアップデートしない限りは、お金を生み出せるようにはなれない

このことはぜひとも肝に銘じておいてほしいと思います。