責任と自由に対する日本人の意識を紐解くとお金に困る理由がわかる話
今回は「お金と責任」をテーマで書いていきます。

この記事を読むことで理解できること
◎「日本人の責任に対する意識」
◎「欧米人の責任に対する意識」
◎「日本人の責任意識が、お金事情にどのような影響を与えるのか」

記事後半の動画内では、お金に困ってしまう日本人を縛り付けているものの正体も明かしていますので、ぜひ最後まで読んでほしいと思います。


日本人の責任に対する意識



まず、日本人の責任に対する意識には、ある際立った特徴が見られます。それを欧米人の責任意識と比較してみると、明確にその特徴を理解することができます。

◎欧米人=責任の所在を明確にする/責任者を明示する
◎日本人=責任の所在を曖昧にする/責任者を明示しない

この日本人の責任意識の特徴は、以下のように様々な場面で見ることができます。

日本における責任の所在の曖昧性①「発言」


例えば、日本では次のようなセリフをごくごく普通に耳にします。

①「会議は来週の水曜日に開催されることになりました」
②「この度、〇〇さんと結婚することになりました」

①は会議の開催日をお知らせするセリフ、②は結婚の報告をするセリフです。

上記セリフは、どちらも、普通に聴いただけではあまり違和感を抱かないかもしれません。しかし「責任」という言葉に着目してこのセリフを考えてみると、少し不自然さを覚える人もいるのではないでしょうか?

その不自然さというのは、次のような内容だと思います。

① 会議を水曜日に開催するって、誰が決めたんですか?
② あなたの意思で結婚するはずなのに、なぜ「ことになりました」と、自然現象のような言い回しをしてるんですか?

つまり、先ほど挙げた二つのセリフは、どちらも行為の主体を明示しない言い回しをしているのです。「誰がそれを決めたのか」を明示していない、つまり責任の所在を曖昧にした発言ということです。

このように、日常の中で普段使われる日本語は、責任の所在を明らかにしないものが多いのです。

ちなみに、英語はすべての文型に主語と動詞(SとV)は必ずつきますので、基本的には「誰が何をしたのか」を明確にする言語です。先程の二つのセリフを英語で示すと、次のようになります。

①「Our boss decided to hold the meeting next Wednesday.」
②「I’m getting married to 〇〇.」

両方とも、行為の主体が明示されていますね。つまり、英語と日本語を比較すると・・・

◎英語は、責任の所在を明らかにする言語
◎日本語は、責任の所在を曖昧にする言語

これが、まず一つ言えることです。

日本における責任の所在の曖昧性②「行動」


なお、この「責任の所在を曖昧にする」という日本の傾向は、今用いられる言葉だけに現れるものではありません。実は、この傾向は昔から存在したのです。

例えば、江戸時代の百姓等が村をあげて一揆を起こす際、その署名は次のように円環状の形式でなされます(傘を開いて上から見たような形式なので、これを「傘連判状(からかされんぱんじょう)」と言います)


なぜ、このように署名を円環状の形式にしてるのか?・・・それは、この一揆の首謀者を判別できないようにするためです。つまり、責任者を明らかにしないようにしているのです。

日本人には昔から責任の所在を曖昧にする傾向はあったというのは、歴史的な資料からもわかることなのです。


個人の責任ではなく集団の連帯責任


なお、先程あげた傘連判状の場合、一応署名はしているので「責任者を明示しない」というよりも「村全体で連帯の責任を作っている」ということも言えます。

しかしその場合も、あくまで集団で物事を決める形にしており、責任を個人に落とし込むということはありません。日本人は村社会で育ってきた民族なので、基本は集団主義なのです。

なので「自分はあくまで集団の中の一員である」という認識を持っており、その集団から孤立することを嫌います(昔から「村八分」という制裁があるくらいです)。基本的には村のみんなと一緒に行動することになるため、行動の意思決定の単位は個人でなく集団になります。

つまり「個人がどんな行動をするかは集団によって決まる」ことになります。言い換えれば「集団の中でなんとなく共有されている空気感が、個人の発言や行動を規定する」ことになるのです。いわゆる「空気を読む」とか「忖度」という言葉に近いです。周りの空気を読んで、自分の行動をその空気に合わせるというのが日本人の特徴なのです。

そうすると、「責任」という言葉に焦点を当てた時、日本人には個人が責任を負っているという自覚が相対的に希薄ということが言えます。個人の理性に基づいた自由な意思で行動するのではなく、周りの空気に従って行動するのです。

「個人の責任」ではなく「集団の責任」
「自分の理性」ではなく「周囲の空気」(世間の目)

このように「はじめに世間があり、その中に自分がいる」という意識が日本人にはあります。「自分はこの村の一員である」という意識は昔から存在するのです。

このようなことからも、日本は「あまり個人に責任を落とし込まない/責任の所在を曖昧にする傾向がある」ということが言えます。


日本人の責任意識とお金


では、ここからは、今説明した「日本における責任意識」を踏まえた上で、その意識と「お金」について動画にて解説をしていきます。

個人が責任を負っているという自覚のもとでの自由意思による生き方を、自分ができているのかどうか、ぜひこの動画で確認をしてほしいと思います。

では、どうぞ。


お金と責任のまとめ
◎日本人はその発言や行動から、責任の所在を曖昧にする傾向が強い。(責任者を明示しない/個人ではなく集団に責任を帰属させることが多い)

◎個人の責任の自覚と自由意思に基づいて行動するのではなく、集団の中で何となく共有されている空気感に沿って行動することが多い。(空気を読んで・世間体を気にして行動する ≒ 古い常識に従って生きる)

◎古い常識に縛られて、責任の自覚と自由意思を持たずに行動した結果、お金の「稼ぎ方」も「使い方」もマイナスに向かい経済的に困窮する。(村社会の中で常識と化した古い掟に従い続けるという姿勢は改めないと、いつまでもお金の問題を自分でクリアすることができない)
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