発達障害の問題の本質は個人の症状ではなく社会構造にあるという話
今回は「発達障害の問題の本質」をテーマに書いていきます。

この記事を読むことで理解できること
◎「発達障害とは何か?」
◎「発達障害が初めて問題視されるのはどんな場面か?」
◎「発達障害の問題の本質はどこにあるのか」

長年教育機関に携わり、私自身が発達障害に関する相談もわりと多く受けてきたので、その経験も踏まえた内容になります。特定の時代背景も踏まえ、私独自の視点から解説をしますので、じっくりと読んでください。


発達障害とは?



まず、「発達障害とは何か?」という基本的な部分から説明します。

発達障害とは?
生まれつき脳の発達に障害があることの総称(人によって様々な症状が見られる)

実際にその症状の種類によって、発達障害にはいくつか名称が付けられています。例えば「自閉症・アスペルガー症候群(ASD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)・学習障害(LD)」など、おそらく多くの人が一度は聞いたことがあるのではないかと思います。

そして、歴史に名を残した偉人と言われるような人の中にも、発達障害だった可能性があるとされている人はかなり多いです。例えば…

◎レオナルド・ダ・ヴィンチ(ADHD)
◎トーマス・エジソン(アスペルガー症候群)
◎アルベルト・アインシュタイン(アスペルガー症候群)
◎チャールズ・ダーウィン(限局性学習障害)

…など、彼らはいうまでもなく偉大な業績を残し、世界に大きく貢献した人物です(上記はその一部です)

では、結局この発達障害の何が問題なのでしょうか?

一応「障害」という単語が用いられている時点で、この発達障害は「何かにおいて支障をきたす」症状とみなされてるわけです。ただ、その症状によって大きな価値を生み出せないということにはならないのは、上で紹介した偉人たちからも分かる通りです。

以下では「発達障害の問題の本質はどこにあるのか?」について掘り下げていきます。


発達障害の特徴(具体的症状)


発達障害の主な特徴については、次のようなものが挙げられます。

発達障害の具体的症状
■【自閉症・アスペルガー症候群(ASD)】

◎「興味や活動が偏りがちで同じ行動を反復して繰り返す」
・自分のしたいことしかしない/自分の話したいことしか口にしない
・同じことを繰り返すので柔軟性に乏しい

◎「対人コミュニケーションが苦手」
・人の目を見ることが少ない
・他人に興味がないので一人遊びが多い


■【注意欠陥多動性障害(ADHD)】

◎「落ち着きがなく衝動的な行動が多い」
・すぐに席を立つ
・順番を待てずに急に割り込む
・しゃべりすぎる

◎「注意散漫」
・一つのことに集中できない
・勉強や仕事でのうっかりミスが多い


■【学習障害(LD)】

◎「聞く・話す・読む・書く・計算する・推論するのうち、特定の習得・使用が困難」
(参照「NPNC病院 国立精神・神経医療研究センター」)


発達障害が問題視される具体的場面


では、上記のような発達障害の特徴は、具体的にどのような場面で問題になるのでしょうか?

おそらく「他者と関わった時」と回答する人が多いのではないかと思いますが、ただ、それは少し違います。

他者と関わった時でも、その他者が発達障害の特徴を理解し、その人に合わせて接してあげれば特に問題にはなりません。事実、身内の人であれば、そのような形で一緒に生活をしてます。

問題なのは、単純に他者と関わった時ではなく、周りの他者もその特徴に合わせるという勝手な行動が許されない時です。特定の人に合わせることが許されず、特定のルールがすでに設けられたシステムに身を置いた時です。もっと言うと、集団生活の中で同一の規律遵守が求められる「同質化するシステム」に身を置いた時です。

この時に、「周りの他者はルールを守れるが、自分はそのルールを守ることができない」という状態が生まれ、周りと違うおかしな人というレッテルを貼られて問題視されることになるのです。

では、その同質化するシステムとは何か?

それは「学校」です。学校という空間に身を置いた時に、初めてその発達障害の症状が問題視されます。

事実、周りのみんなが特定のルールを守って集団行動に馴染んでいる中で、一人だけ違い行動をとって馴染めない状態にあれば、当然目立ちます。そして「みんなで決まりを守るのが普通なのに、なぜできないの?」という目で周囲から見られ、そこで初めて異質なものといったレッテルを貼られることになるのです。


発達障害の問題の本質は症状そのものではない



しかし、そうだとすれば、そもそも「学校の集団行動になじめるのが普通である」という認識が皆の間になければ、別に問題にはならないということになります。

つまり、結局発達障害というのは「学校の中で集団で行動できるのが望ましいこと(正当なこと)という意識が常識化した時にはじめて問題視される存在」なのです。その意識がなければ、発達障害は問題の対象にもなりません。

事実、義務教育制度が導入される前は、発達障害という言葉すらありませんでした。前述したような症状を持つ人はそれ前から存在したのですが、その症状に「発達障害」という名称がつけられ、それが問題の対象として認識され始めたのは20世紀に入ってからなのです。

(したがって、冒頭のエジソンやダヴィンチは、生前に発達障害の診断を受けたわけではなく、後世になってから推測したものです)

 発達障害は、学校という同質化システムにみんなが身をおいた時に初めて問題視される存在



では、そもそも学校というのは、いつ・どのような狙いで出来上がったのか?

それは過去のこちらの記事「日本の義務教育の歴史を紐解くと国家の目的(洗脳教育)が見えてくる」を見返してほしいのですが、ざっくりと言うと…

産業社会に入り、工場で働く従順な労働者を育成するために作られた機関

これが本来の学校です。産業社会の中で、言われたことに忠実に従う従順な労働者を育成するために作られた機関が学校なのです。

したがって、発達障害というのは「産業社会の中で求められたシステムに馴染めない」というだけでです。産業社会に入り、その社会に望ましいシステムになじめない人が特定の病名をつられ、異常なものというカテゴリーで括られただけであり、結局は「産業社会の産物」に過ぎないのです。


発達障害と名付けられた症状は一つの「個性」


そして、今は産業社会ではなく、情報化社会です。時代が変わった現代では、必ずしも学校という名の同質化システムに身を置く必要はありませんので、発達障害と診断されても特に気にする必要はありません。発達障害は、時代を超えて普遍的に問題視すべきものではないのです。

そもそも、発達障害の症状を持つ人は、この同質化システムの中に入っても周りに馴染めないくらいの強い個性を持っているということになりますが、その個性はこれからの時代、大事にした方がいいです。

発達障害に見られる個性は、産業社会を生きる上では辛いものだったかもしれませんが、これからの時代を生きる上では、逆に非常に強い武器になるからです。

では、なぜそのように言えるのか?

それについてはこちらの動画にまとめていますのでぜひ見て下さい。集団になじめず、空気を読まず、偏向的な興味を示す「個性」を持った人間こそ、大きな価値を生み出す可能性を秘めているのかもしれません。


「発達障害の問題の本質」まとめ
◎発達障害には「学校での集団行動になじめない」特徴があるが、それは近代に入り、産業社会になってはじめて問題視された概念。(学校で集団で行動することが望ましいとする時代の中で生まれたもの)

◎現代の情報化社会では、学校という労働者育成システムの中で皆と一緒に教育を受ける必要はないので、発達障害自体を問題視する必要もない。(むしろ現代では、その生まれ持った「個性」は大事にすべき)

◎発達障害とされる人の特徴には「自分でお金を生み出せる人間」の特徴と共通するものが見出せる。(発達障害だったと言われる偉人が少なくないことも鑑みると、集団になじめず、空気を読まず、偏向的な興味を示す個性を持つ人間こそ、大きな価値を生み出せる可能性を秘めているのかもしれない。)
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