宗教の信仰心とビジネスでお金を生み出すマインドの類似性を考える
今回は「お金と宗教」をテーマに書いていきます。

この記事を読むことで理解できること
◎「宗教にはどのような性質があるのか?」
◎「宗教特有の怪しさの正体とは?」
◎「信仰心を持つことと自分のビジネスでお金を生み出すことにはどんな共通点があるのか?」

今回の記事でも、自分でビジネスをしていく上で非常に重要な視点を得ることができます。


宗教に対する日本人の反応



宗教というものに対して、あなたはどんな印象を持つでしょうか。

日本においては、どちらかと言えば「怪しい・胡散臭い」というネガティブなイメージを抱く人が多いです。もちろん、日本にも特定の宗教を信仰している人や特定の宗教団体に属している人はいますが、それも全体の中のごく一部。日本は無宗教の人が多く、宗教に対しては「ちょっと近寄りがたい…」という抵抗感を抱く人は多いのです。

しかし、日本人のこのような姿勢には、注意すべき点が二つあります。

世界的に見れば無宗教の方が珍しい


まず一点目は、世界的に見れば無宗教の人の方が少ないという事実です。

世界三大宗教「キリスト教・イスラム教・仏教」と、最大の民族宗教「ヒンドゥー教」、世界でこれらを信仰する人の概数は以下の通りです。

◎キリスト教:約22億人
◎イスラム教:約15億人
◎仏教:約4億人
◎ヒンドゥー教:約9億人

これらの数を合計すると、約50億人です。世界全体の人口は約70億人なので、上記4つの宗教の信者だけでも全世界の約7分の5を占めることになります。世界ではそれほどまでに多くの人が特定の宗教に属している(特定の信仰心を持っている)と言えます。

つまりそのような点では、無宗教が多い日本の方が完全にマイノリティなのです。

もちろん「宗教を信仰している人が圧倒的多数だから、宗教は正当なものだ」などと言うつもりはありません(実際に私も特定の宗教を信仰しているわけではありません)。しかし、それらに理解を示そうとせず、単に「怪しい」という言葉で排除してしまう姿勢には問題があります。

なぜなら、世界は、思想やエネルギーを持った人の活動によって動くからです。

したがって、世界の多くの人が信仰する宗教に理解を示そうとしなければ、世界を理解することはできません。そして、世界を理解できないということは、それと比較した上での日本も理解できないことになるのです。

一つ目のポイント
世界では宗教を信仰している人の方が多いため、宗教に対する理解の姿勢がなければ世界は理解できない。そして世界を理解できなければ、それと比較した日本を正しく理解することもできない。

無宗教が多い日本でも宗教的行事は採用されている


そして二点目は、無宗教が多い日本でも宗教的行事は様々な場面で受け入れられているという事実です。

例えば、次のような宗教的行事がそれに当たります。

◎初詣(神道・仏教)
◎結婚式(神道・キリスト教・仏教)
◎葬式(仏教)
◎クリスマス(キリスト教)
◎バレンタイン (キリスト教)

このように、日本は形式上は様々な宗教的行事を採用しています。しかし、宗教そのものに対しては、冒頭でも述べた通りマイナスイメージを持つ人が多いのです(※厳密に言えば「神道」は宗教ではありませんが、そこにも神の存在を認める思想はあります)

「これ、一体何なんだ?」って話ですよね。思想と行動が一致していないかのような現象ですが、これも結局、先ほど指摘した「宗教に理解を示していないから日本のことも理解できない」ことにつながります。宗教をよく理解していないため自分たちがやってることの意味も深く理解できておらず、そこに矛盾が生じている認識もないのです。

二つ目のポイント
宗教に対してネガティブなイメージを持つ日本人も、様々な宗教的行事は受け入れており、そのことに矛盾の認識すら持っていない

したがって、今宗教に対してネガティブなイメージをもつ人でも、宗教そのものに理解を示そうとすることは非常に重要なことなのです。

以下では、このことを踏まえた上で「宗教の性質」と「ビジネスとの関連性」について考えていくことにします。


そもそも宗教とは?



では、そもそも宗教とは何か?

これについては、Wikipediaの説明を引用します。

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念または、その観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などを備えた社会集団のこと(wikipediaより)

この説明を元に考えると、宗教には二つの側面があることになります。

①人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念
②観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などを備えた社会集団

①は、観念という目には見えない内面的な性質。一方②は、その観念が体系化されて目に見える形になった制度的性質と言えます。

宗教の内面的性質「信仰心」


上記のうちの①「内面的な性質」とは、いわゆる信仰心のことです。

Wikipediaの説明にある「人間や自然の力を超えた存在」とは、いわば神や仏のことですから、直接的には「神や仏の存在を信じる心」が信仰心です。

では、人はどのような時に神や仏の存在を意識するのでしょうか?

「人間や自然の力を超えた存在」という説明から、神や仏は人間界・自然界とは別の世界の存在ということです。つまり目には見えない世界の存在、いわば「天国」などの死後の世界の存在ということです。

つまり、神や仏の存在を信じるというのは、言い換えると、今は目に見えていない死後の世界や来世を意識するということです。人は、死というものと向き合った時に神や仏の存在を意識するようになり、その信仰心を持って活動することになるです。

実際に各宗教では、死後の世界が描かれたり、死と向き合って生きる姿が描かれたりしています。

そして、死について真剣に考えるということは、生について真剣に考えるということでもあります。自分の死と真剣に向き合うからこそ「自分の限られた時間をいかにして生きるか・いかに自分の生を全うするか」を考えることができるのです

①の信仰心とは、そのようなエネルギーを持ったものと言うことができます。


宗教の制度的性質「組織・教義・施設」


一方、②「制度的な側面」というのは、「組織・団体」「儀礼・慣習」「教義・施設」など目に見える形で体系化されたものです。①の信仰心が形になって現れたものがこの制度的性質になります。

このような各宗教の制度は、もともと①の信仰心があり、その同じ信仰心をもった人たちが集まって徐々に強化されるものになります。したがって、宗教の原型は①の信仰心なのです。

しかし、先ほど挙げた日本の宗教的行事というのは、この②の一部を取り入れているだけです。つまりその根本にある信仰心は理解せずに、外側だけ(形式だけ)を採用してるのです。だから日本では年に一回様々な行事が開催されても、その本質を知らない人が多いのです。


宗教の強さ


このような二つの宗教的性質を鑑みると、宗教というのは次のように位置付けることができます。

死と向き合い、自分の生をどう全うしていくかを考え、その内面にある信念や信仰心に従って人間的な活動をしていく過程で、その内面が体系化・組織化されたもの

体系化された儀礼や慣習の根本には、死を意識した生へのエネルギーがあります。そのエネルギーがあるからこそ、宗教は強いのです。自分が生きていることを深く考えず、毎日をテキトーに生きている人には理解できないエネルギーがそこにあるのです。

宗教が世界の何十億人もの人を巻き込み、何千年も続いてきている所以はここにあります。

そのように考えると、特定の信仰心を持った姿勢を怪しいと言ったり、揶揄したり軽蔑したりする人は、「自分の生について真剣に考えてないのでは?」ということを一度疑ってみたほうがいかもしれません。

人間には、いつか必ず死が訪れます。どんな人間であっても、時間がくれば自分の生は強制終了してしまうのです。その限られた時間をテキトーに生きているのではないか…そのことを疑ってみると、宗教に対する印象も変わるかもしれません。


宗教の信仰心とビジネス


ここまで、宗教の性質について解説をしましたが、この宗教の性質は自分でビジネスをする人間にも重要になる部分があると思っています。

それは、どういうことか?以下の動画に詳しくまとめてありますので、是非視聴してみてください。

宗教もビジネスも、抽象度を上げれば共通したものが見えてきますので、自分でビジネスをしていく上ではこういった部分を意識することも大事になります。


お金と宗教のまとめ
日本では無宗教の人が多いが、世界的には無宗教の方が珍しい。(世界を理解し、同時に日本を理解するためには、宗教に対する理解の姿勢は大事になる)

宗教には「内面的性質(信仰心)」と「制度的性質(体系化・組織化)」があり、日本人の多くは、その二つのうちの「制度的性質」だけを採用している。(日本人の多くが意識しない「信仰心」は、本来死後の世界を意識した時に生じるものであり、そのような死について真剣に考えることこそが、自分の生をも真剣に考えることにつながる)

人間は本来「現実には起きていない未来を想像し、それができると願う・信じる」という宗教の原型となる思想を持っており、それはどんな分野にも応用できる。(すでにある外側の枠組みに自分の内側の心をはめ込んでしまうのではなく、自分の内にある信念を外側に発していくことで価値を生み出し、世界を動かせる)

宗教に対する怪しさの正体は、怪しいと感じる人の無知や視野の狭さ。
今の時代に適した新しい生き方を学び実践しませんか?
おすすめの記事