日本国民の三大義務(教育・勤労・納税)からお金と国家を考えてみる
今回は「お金と国家」をテーマに書いていきます。

この記事を読むことで理解できること
◎「日本国憲法で定められている国民の三大義務の詳細とは?」
◎「国民の三大義務が私たちのお金事情にどんな影響を与えるのか?」
◎「自分でお金を生み出せる人間としてふさわしい国家との関わり方とは?」

この辺りを明確にすることができるようになりますので、しっかりと最後まで読んでほしいと思います。

では、まずは今回のテーマについてまとめたこちらの動画からどうぞ。


以下、この動画の内容に沿って詳しく説明していきます。


前回の内容のおさらい


まずは、前回の記事のおさらいを軽くしておきます。

前回は「会社から給料を与えられるタイプの人間」と「自分でお金を生み出せるタイプに人間」の、それぞれの特徴を説明しました。上の図のように、両者は思考の枠組みが全く異なるため、その言動にも大きな違いが見られるということを解説したと思います。


そして、多くの人は「会社から給料を与えられる側」に属しており、なかなか「自分でお金を生み出せる側」の発想や思考を持ち合わせていません。自分でルールを作って主体的に目標を設定して活動していこうとはせず、他人が決めたルールの中で割り当てられた役割と仕事に沿って活動をしていくのが普通であるという感覚を持っているのです。

その理由は(前回の記事でも説明した通り)、私たちのほとんどが通る道である学校での教育が、与えられたルールの中で生徒に行動させるシステムだからです。

決められたルールの中で集団行動をさせられ、そのルールや集団の輪からはみ出た行動をすると叱られる対象になる

そんな教育を受けることを通じて、多くの人は「主体的に目標を設定して自分のやり方でやり通す」ことを深く経験せず、お金を生み出すのに必要なマインドが育まれることのないまま大人になっていきます。その結果、社会人になっても多くの人は、決められたルールの中で与えられた役割に従って仕事をこなすことを普通だと考えるのです。

学校で教わったこと「だけ」を常識としてそれを盲目的に正しいものと信じ込んでいると、いつまでたっても自分の力でお金を生み出せるようにはならず、結果として上記のような人間になってしまうということです。

(ここまでが、前回の記事のおさらいになります)


なお、上で述べた「教育をうけて、労働者になる」という流れの中での「教育」も「勤労」も、現行の日本国憲法では「国民の義務」と定められているものです。

「教育」「勤労」に「納税」を加えたこの三つは『国民の三大義務』として定められていますが、この三大義務を先ほどの流れに当てはめると・・・

◎『教育の義務』の名のもとに、私たちのほとんどは幼いうちから学校教育をうけ、
◎『勤労の義務』の名のもとに、教育を受けて育った私たちの多くは労働者として働き、
◎『納税の義務』の名のもとに、労働によって生み出したお金の一部を私たちは国に献上する。

こんな感じになります。これを見ると、この三大義務は、私たちが長い時間をかけて労働者として国にお金を献上するまでの仕組みであるかのようにも見えてしまいます。「どことなく搾取されているような…」という感覚を覚える人もいるかもしれません。

では、日本国憲法で定められた「国民の三大義務」は、お金の文脈において、実際に私たちにどのような影響を与えるのでしょうか?

以下では、このことについて深く考えていきたいと思います。


国民の三大義務「教育・勤労・納税」


すでに述べた通り、日本国憲法に規定されている「国民の三大義務」は

◎教育の義務(26条2項)
◎勤労の義務(27条1項)
◎納税の義務(30条)

この三つです。

教育の義務(26条2項)


この「教育の義務」においては、実際に義務を負うのは子供ではなく保護者になります。「子供が教育を受ける義務を負う」のではなく「保護者が、子供に教育を受けさせる義務を負う」ということです。より正確に言えば「保護者が、子供が教育を受けられるようにその機会や環境をしっかりと整える義務を負う」という意味になります。

したがって、これは何も「子供を無理やり学校に通わせなければいけない」というわけではありません。しっかりと教育の機会を与え、その環境を整えているのであれば、その上で仮に子供が学校に行かないという選択をしたとしても、それは保護者が「教育の義務」に違反したことにはならないのです。

しかし、現状ほとんどすべての保護者は、教育環境を与える手段として子供を学校に通わせるという選択をします。そして当然、判断力の低い子供はその保護者の選択に抗うなどということは普通はしません。

したがって、この「教育の義務」の規定により、結果として、私たちのほとんどは子供の頃から何を疑うこともなく学校で教育を受けることになるのです。

そして(これまでの記事でも伝えてきた通り)、その学校というのは、もともと産業社会に適応した従順な労働者を育成するために作られた機関であり、今もそのあり方は根本的には変わっていません。

学校の中で「決められたルールの中で、言われたことを守って行動する」ことを覚えた私たちの多くは、大人になっても、会社の中で「与えられたルールの中で、割り振られた仕事をこなす」というマインドを持ったまま、労働者になっていくのです。

その結果、学校教育を受けた私たちの多くは、今度は会社から給料を与えられる労働者として『勤労の義務』を負うことになります。

勤労の義務(27条1項)


会社から給料を与えられる労働者は、労働時間をお金に換えるスタイルをとります。決められた勤務時間・与えられた仕事に従事することで、その分のお金をもらうことができるのです。

ただ、前回の記事でも言ったように、自分で主体的にやると決めたことではないその仕事には一定の義務感や苦痛が伴います。お金という大事なものを得る手段が、苦痛を伴う仕事になることが多いのです。

そのため、次のような間違ったロジックを持つ人も多く出てきます。

・「苦痛なことも我慢して働くことが、大事なことなんだ」
・「時間をかけて汗水流して仕事に精を出すことが、社会人として当然の責務だ」

このように『勤労の義務』の中身を履き違え、いつまでたっても時間と労力を奉仕することでしかお金を得ることができない(自分でお金を生み出せない)状態になります。

「勤労の義務」とは、会社から給料を与えられる労働者として働く義務ではありません。ただ、昔から変わらない教育システムの力によって多くの人は時間をお金に換えるスタイルになってしまうのです。

そして、そのような勤労で得たお金の一部は、税金として国に納めることになります。これが『納税の義務』です。

納税の義務(30条)


この『納税の義務』に関しては、それに背くときつい罰則が科せられるのにもかかわらず、私たちはその詳しい仕組みについて学校で教わることはありません。基本的に、税金については学ぶ機会はあまりないため、私たちの多くは税金についての正しい知識を持っていないのです。

つまり、多くの人はよくわかっていないのに義務だからという理由で収入の一部を納めているのです。事実、サラリーマンなんかは、自分の給与明細の手取りの欄しか見なかったりします。もはやお金が奪われていることすらわかってないのです。

もちろん、会社からお金を与えられる労働者の場合、「基本給から税金が引かれた後に使えるお金が支給される」ので、基本的には節税は一切できません。しかし一方で、自分でお金を生み出す起業家の場合、「自分で使えるお金を得た後に税金を支払う」こので、使えるお金の一部を自分の事業の経費に回すことができれば、うまく節税ができるのです。

つまり、納税自体は当然義務として存在するものの、節税は禁止されていないため、自分でお金を生み出す側にまわって経費や税金についてもしっかりと学べば、賢くお金を残していくことはできるのです。

したがって、これについても『納税の義務』に問題があるのではありません。お金の勉強を一切してこなかった昔のシステムを今も引き継いでいることに問題があるのです。


国民を搾取するものの正体


このように見てくると、私たちごくごく普通に生きていると、

『自分でお金を生み出せるような教育を受けず、その結果時間を捧げることでしかお金を得ることができず、さらにそのお金の一部はよくわかっていない税金として国に納めさせられる』

このような状態になります。「教育によって主体性が奪われ、勤労によって時間も奪われ、税金として謎にお金も奪われる」そんな搾取されているも同然の結果になることが多いのです。

しかし、これは『国民の三大義務』の規定に問題があるわけではありません。これまで述べてきた通り…

◎『教育の義務』は、子供に教育を無理やり受けさせることを義務にしているわけではありません。
◎『勤労の義務』は、必ずしも時間をお金に換える労働者として働くことを義務付けているわけではありません。
◎『納税の義務』は、私たちが賢く節税をすることまで禁止しているわけではありません。

つまりこれらは、国民が主体性を持って・自らの意思でビジネスをしてお金を生み出し・そのお金を賢く守っていくことに制約を加えるものではありません。今の三大義務そのものに、国民を搾取する意図はないのです

そもそも、憲法というのは本来「国」に制限を加えるものであり「国民」を規定するものではありません。どちらかと言えば、国民の権利を保障するために一定の義務を課しているに過ぎないのです。

問題なのは、そういった外側の規定ではなく、システムの内側に潜んでいる明治期の名残です。近代化を推し進めるために出来上がった教育システムや経済体制の背景には、国民を徹底して管理し強い国を作り上げる軍国主義の思想があるのです。

そしてそれの名残があることを知らずにシステムの中に組み込まれ、教えられたことを当然だとして何の疑いももたない人たちは、結果として知らず知らずのうちに搾取されているも同然の状態に陥ってしまうのです。

つまり、これまでの「当たり前」に疑いの念を持ち、自ら積極的に新しい常識をとりいれようとしなければ、私たちは今後も搾取され続ける人間になってしまいます。収入もコントロールできず、税金もコントロールできず、さらには肉体的・精神的に辛い状況に追い込まれながら大事な時間まで奪われる、そんな不利な状態から抜け出せなくなるのです。

ただ、すでに述べたように、国は私たちがそこから抜け出すことを禁止していません。国は、私たちがお金を生み出せる人間になるにあたっての制約は何も加えていないのです。

したがって、自らの主体的な意志があれば、だれでもそこから抜け出すことはできます。その行動を制限する人はいません。

必要なのは、自分のビジネスでお金を生み出し、そのお金を賢く守っていけるだけの知識やスキルを身につける、そのために自ら主体的にお金やビジネスの勉強していくことです。
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