これは映画『千と千尋の神隠し』のストーリーの骨組みですね。
ストーリーを知っている人は多いと思いますが、ここでの主人公の千尋は、A「日常の世界」とB「非日常の世界」を行き来することになります。
A=「オーディナリーワールド」(日常の世界)
B=「スペシャルワールド」(非日常の世界)
二つの世界をこのように言いますが、この映画の場合はAとBの世界をつないでいるのが“トンネル”ということになります。
千尋はこのトンネルを通過して不思議な空間にたどり着き、その空間でいくつもの試練を乗り越えた後、またそのトンネルを経由して戻ってきます。それによって内面的な成長を獲得する、いわば一つ“大人になる”ことになるのです。
つまりここでは「トンネル = オトナになるための通過点」ということになりますね。…これ、下ネタにしか聞こえないのは私だけでしょうか?
「トンネルを通過することで大人になる」
え~っとあれは確か、トンネルの奥に子宮という名の不思議なものがあって、そのトンネルをジュニアが行ったり来たりして、最終的にトンネルから元の世界に戻ってきた時には自分はオトナになっている…
…はい、何でもないです。冗談はこれくらいにしてここから本題に入ります。
目次
神話の法則とは?
この冒頭で『千と千尋の神隠し』を取り上げたのには理由があります。その理由というのは他でもありません。この映画のストーリーの構成が『神話の法則』に則っているからです。
『神話の法則』とは、クリストファー・ボグラーという人物が記したもので、ハリウッド映画などに用いるシナリオのマニュアル本のようなものです。
これは英雄神話の中にある物語性を構造的に解析した「千の顔を持つ英雄」(ジョセフ・キャンベル著)を元に作られたのですが、これを記したジョセフ・キャンベルは次のようなことを明かしています。
「英雄神話は、人間の自己実現のプロセスと対応している」
つまり、神話の中に潜む物語性には人間が成長を遂げていく過程と共通する部分が多いというのです。
したがって、その物語を見た人の多くは自分の人生に通じる物語を見ているために共感を抱きやすい(引き込まれやすい)ということが言えます。
このことを明らかにしたキャンベルの「千の顔を持つ英雄」を元にし、今度はクリストファー・ボグラーが映画のシナリオ作成という“実用面”を重視して改良を加えていきました。
そのような過程で出来上がったのが『神話の法則』なのです。
つまりこの『神話の法則』には人を引き込みやすいストーリーの型が記されているのです。実際、多くのハリウッド映画のストーリー構造もこの『神話の法則』に書かれている内容に見事に当てはまっています。
そこで今回は、コピーライティングにも応用できるこの「人が共感抱きやすいストーリーの型」を考えていくことにします。
では、まず「神話の法則」に書かれた構造についてまとめた次の動画をご覧ください。
以下、これについて『千と千尋の神隠し』のストーリーを例に詳細に解説していきましょう。
神話の法則「物語の12のステージ」
ではまず、その「神話の法則」ではどのような物語の構造が示されているのか、これを明らかにしておきましょう。
そこでの物語は大きく12のステージによって構成されます。その12のステージというのは以下の通りです。
これを大きく三分割すると、次のようになります。
【①~⑤】日常から非日常へ
初めは大抵、①「日常の世界」から物語がスタートします。この時点では主人公は内面的に何らかの欠陥を抱えていることが多く、②「冒険への誘い」に対しても消極的な態度をとります。あるいは周囲の人物が主人公の冒険を引き止めることもあります。要するに、スムーズには冒険へ出ることができない、③「冒険への拒絶」が起こるのです。
しかしその後、④「賢者」に該当する人物やアイテムが現れ、その人物やアイテムをきっかけとして主人公は冒険に導かれます。これが、拒絶していた主人公が冒険へと足を踏み入れるという⑤「第一関門突破」となるのです。
【⑥~⑨】非日常の世界での試練
※ここがストーリーのボリュームゾーンです。
冒険の世界へと足を踏み入れた主人公は、そこで様々な⑥「仲間」に出会い、数々の「敵」に遭遇しながら、一つ一つ「困難(試験)」を乗り越えていきます。この困難を乗り越えることが、自らの成長に直接的な影響を及ぼしていきます。
そして冒険を重ね、次第にその冒険の最終目的地に近づいてくると、何やら危険な雰囲気が漂ってきます。最大の試練の予兆、すなわち、⑦「最も危険な場所への接近」です。この最大の試練が迫ってきているという演出が、視聴者の緊張感を高めるという効果をもたらすのです。
そして最終的に⑧「最大の試練」を乗り越えると、目的達成という形で⑨「報酬」が得られることになるのです。
【⑩~⑫】非日常から日常へ
ただし、物語は「目的達成」で終わりではありません。非日常の世界から日常の世界へ戻るまでが冒険なのです。家に帰るまでが修学旅行ということです。
そしてその日常世界へ戻ろうとする⑩「帰路」でも主人公に危機が迫ります。多くの場合、試練を乗り越えた後に今いる建物が崩れたり、爆発が迫ったりといった危険が降りかかるのです。
ここで主人公は一度死にかけます。帰路でふりかかった危険から逃れられずに死んだのではないか、という空気が漂うのです。しかしその後、何らかの形で無事に生き延びることができたことが判明します(⑪「復活」)。そして無事元の世界に⑫「帰還」することになるのです。
要するに、「神話の法則」で言われている物語の構成は「日常世界から非日常世界へ行き、そしてまた日常世界に戻ってくる」大きく言えばこのような感じなのです。
この「行って、帰ってくる」という大きなプロセスの中に、人間が成長を遂げるプロセスとの共通点を見出せるということになります。
千と千尋の神隠しのストーリー構成
では、具体的に『千と千尋の神隠し』の構成を見ていきましょう。
【日常から非日常へ】
『千と千尋の神隠し』でも、最初は「日常の世界」から始まります。この物語のスタートは、主人公荻野千尋という小学生の女の子が引っ越しのために父母と一緒に車で移動している場面ですね。
車で移動中に森の中に迷い込んだ家族は一つのトンネルを発見します。そして両親はそのトンネルに興味を持ち、中に入ってみようとするのです。
必死に「帰ろう!」と言い、トンネルの中に入ることを拒む千尋に対して両親はどんどんトンネルの中に進もうとします。結局千尋も仕方なく、しぶしぶ両親に付いて奥の世界に入っていくのです。
ここでは「日常の世界」の中で、両親による「冒険への誘い」、千尋の「冒険への拒絶」が明確にあらわれていますね(神話の法則の「賢者」に該当するものを見出すことはできませんが)。
ただ、「帰ろう!」と拒絶する千尋に対して両親はなぜそれを聞き入れようともせずにトンネルの奥に進もうとしたのか、そこの理由づけだけははっきりしません。消極的な千尋が非日常の世界に入らざるを得なくなるのは、一緒にいた両親がどんどん奥に進んでしまったことが理由になるのですが、個人的にはその両親が奥に進む理由がいまいちピンと来ないのです。
引っ越しを控えている背景を考えると、たまたま見つけたトンネルにわざわざ入って奥に進もうとするからにはそれなりの理由が必要だと思います。寄り道する暇はないはずですから。
おそらくこの辺り、作者の宮崎駿さんはあまりロジカルに考えずただただ神話のパターンに当てはめただけなのでしょう。正直、この作品はこういった理由づけなどはテキトーに感じます。
全体的にこの作品は「世界観」というファジーな側面が前面に出ており、物事をロジカルに捉える人間にとっては腑に落ちない部分が多いと思います。
まあともあれ、このような形で千尋は「日常」から「非日常」へ入っていくことになるのです。
【非日常の世界での試練】
この非日常の世界で、千尋はさまざまな困難に見舞われます。
両親が豚の姿になってしまい、この空間から脱出しようとするも道が水でふさがれていて脱出できず、さらには自分の姿も消えそうになる…。
千尋もはじめはそんな状況を受け、絶望感に打ちひしがれます。しかし、いろんな人物と関わる中で次第にその内面が変わり始めます。
・両親の姿を元に戻すため、油屋の経営者である湯婆婆に仕事を請う
・ほかの従業員に疎ましがられながらも、謹厳実直な働きぶりを見せる
・カオナシに呑み込まれた従業員を助け、信頼を獲得する
・重傷を負ったハクを助けるために、危険も顧みずに銭婆のところへ行く
このように、これまでは両親の後をついて歩くだけの消極的だった少女が、明確な目的をもって自ら積極的にさまざまな困難に立ち向かいます。
「消極的だった千尋が主体性を持ち始める」
これが後の内面的な成長に直接的にかかわってくるのでしょう。
そして、この場面での「最大の試練」というのは、
・「銭婆のところに行って許しを得る試練」のことでしょうか…
・「湯婆婆による千尋への最後の難題」のことでしょうか…
完全に明確にはできませんが、前者と考えた方がしっくりくるような気がします。なぜなら、銭婆のところで許しを得てハクと一緒に油屋に帰った時点で、ハクも従業員も「千尋と両親を解放するように」と湯婆婆に迫っています。
要するにこの時点で千尋は「他者からの信頼」は獲得できているのです。
「自らの主体性の獲得」を内面的な成長と捉えるのであれば、「他者からの愛情・信頼の獲得」は外的な恩恵と考えられます。
この“外的な恩恵”が⑨の「報酬」ということになるのでしょう。
【非日常から日常へ】
みごと銭婆から許しを得ることができた千尋は、元の世界に戻るための帰路で「最後の難題」を湯婆婆に突きつけられます。
それが「12匹の豚の中でどれが両親か言い当ててみなさい」というものです。
そこで千尋は「この12匹の中に自分の両親はいない」と見事言い当てます。そして、自分の名前を返してもらうとともに両親も呪いも解け、千尋は日常の世界に戻ることを許されるのです。
この場面における「湯婆婆に名前を奪われた千尋が最終的に名前を取り戻す」ことは「主体性のなかった主人公が主体的行動をとるようになる」ことの象徴として描かれているのでしょう。
この「名前を返してもらう」ことが自己の復活であり、内面的な成長を意味します。この復活を遂げたことで千尋は元の世界に戻ることになるのです。
このように完全に神話のパターンに当てはあるわけではないですが、大枠はこれに則って創られていることがわかるでしょう。
「日常の世界から非日常の世界へ行き、そしてまた日常に帰ってくる」
このプロセスの中で人間は内面的な成長を遂げることができるのです。
P.S.1
う~む…やっぱ「千と千尋の神隠し」より「ドラクエ7」のストーリーの方が神話の法則にドンピシャ当てはまっているような気がします。次回の記事ではドラクエ7についても書こうと思います(ドラクエ7のストーリー考察記事はこちら⇒「ドラクエ7のストーリー考察からシナリオライティングスキルを磨く」)
P.S.2
あ、そういえば千尋が働いていたのは「油屋」という風呂屋です。ここで働くことも「成長するために必要な試練」としての位置付けなのですが、風呂屋で神様(お客さん)の体を洗い流すということは、現代ではソープランドでお客さんにご奉仕するということですからね。
やっぱ、ここでのオトナになるってそういう事なのか!
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