早稲田大学商学部卒業後、進学塾の講師として大学受験指導に携わり、東大・早稲田大・慶應義塾大等の難関大学合格者を多数輩出。しかし、長年続けていくうちに次第に現代の教育産業のあり方に疑問を持ち始め、このまま塾講師だけを続けていくことの意義が薄れ始める。
その後進学塾の現場を離れさまざま模索している中で、教育産業の負の側面の突破口としてインターネットビジネスに大きな可能性を感じ、2013年からは「ピオリム」というハンドルネームで個人でビジネスを展開。マーケティング・ブランディング・コピーライティング等を基礎から学びつつ、ウェブメディア構築・個別コンサルティング・ビジネスコミュニティ運営・通信制高校サポート校の運営補佐など様々な活動を実施。2015年に法人化。
現在は「塾講師としての活動」と「インターネットビジネスでの活動」で培った経験・スキルを統合させて教育分野に変革を起こすという想いから、心理学・脳科学・古典・歴史・現代社会等の多角的視点を取り入れた体系的・実践的講義を展開。
700名以上が参加するオンラインコミュニティの運営補佐を通してビジネスの研鑽を深めつつ、自らも個人・法人問わずさまざまな事業のコンサルティングを実施。インターネットを活用して独自の価値を創造し社会の中でお金を生み出す力を発揮できる人間の育成に携わる。
どうも、富沢です。
ネット上では「ピオリム」というハンドルネームで活動しています。
この度は当ブログにお越しくださりありがとうございます。
おい、ドラクエの呪文を自分の名前にして何ふざけてんだ?
…と、初めてこのブログに訪れた人からはこのように手厳しいツッコミが入るかもしれませんが、これは全くもってふざけているわけではありません。私がこのピオリムというハンドルネームを使っているのには、実はそれなりの理由があります。
ただ、ハンドルネームの由来については私のメールマガジンの中で述べていますので、メルマガの方をご覧いただければと思います。
このページでは、私が今の活動をするに至った経緯を軸に、簡単な自己紹介をすることにします。
「先生のおかげで合格することができました!」
現在のようにビジネスコンサルタントして活動する以前、私は進学塾の講師として大学受験の指導をしていました。大学を卒業してから数年間、いわゆる塾講師として活動していたのです。
・最新の大学入試問題を分析したり…
・それをもとにオリジナルのプリントを作成したり…
・教室でホワイトボードを使用して集団授業を行ったり…
・生徒一人ひとりと面談をして進路の方向性を定めたり…
このようなことを行っており、当時はインターネットとはほぼ無縁の仕事をしていたことになります。
そんな当時の塾講師の仕事に対して、私は特に不満を感じていたということはありませんでした。不満を感じるどころか、むしろ当時の仕事には非常に大きなやりがいを感じていました。
そのやりがいを抱いた源泉は、実にさまざまです。
まず、塾講師をしていた当時は「受け持った生徒の成績を上げて志望校に合格させる」ことがその仕事の一番の目標だったわけですが、もともと私は、人にものをわかりやすく教えたり人の能力を引き出したりするのはそこそこ得意な方でした。
なので、私はそこの塾でも自分のスキルを活かし、東大・早稲田大・慶應義塾大などの最難関と言われる大学の合格者は数多く輩出していたのです。
「自らのスキルを上げて直接指導をした生徒を目標達成へと導く」
そのことが当時の自分の目標でもあったので、自らのレベルアップの実感と目標達成による自信を得られる…そのような側面から充実感を伴うやりがいを感じていたことがまず一つ挙げられます。また・・・
「先生のおかげで合格することができました!」
このような言葉で幾度となく生徒やその保護者から感謝されることも、やりがいを感じる大きな要因でした。他者から感謝されること自体、自分のモチベーションの大きな向上につながます。そしてそれが、より自分を高めていこうという向上心を掻き立てることになるのです。
さらに、大きな向上心をもちながら自分のスキルを高めていった結果、会社全体で毎年実施される授業アンケートの評価は常に上位に位置していました。大学受験部門の社員の中では毎回1位、会社全体の中でも500人ほどいる専任講師の中で常に順位は一桁であり、それによって全校舎の社員が集う場でも私はほぼ毎回表彰を受けるようになっていました。
このように、
◎「自分の目標達成に向けてスキルを高めていくことができる」
◎「自分の目標達成によって、生徒や保護者から感謝される」
◎「会社からも(授業という点では)そこそこ高く評価される」
そんな当時の仕事に対して、大きなやりがいを抱いていたのです。
しかし・・・
やりがいがあるからこそ、ある意味ではタチが悪い
そういったやりがいは感じていたものの、塾講師を続けていくうちに「これをずっとこのまま続けていくのはどうなのかな…」という感覚を抱いている自分がいました。
そのような感覚をおぼえるようになったポイントは、主に二つあります。
一つ目のポイントは…
一つ目のポイントは個人的なもので、「経済的・時間的な面での難点がずっと解消されることがなかった」ということです。
当時の仕事内容にはやりがいを感じていたものの、そこで生徒を合格させたからといってそれによってものすごく給与が上がるわけでもありませんでした。仕事でどれだけの成果を収めようと、一般的な会社の給与体系の元では基本的には「あらかじめ決められた勤務時間」を「決められた額のお金」に換えているだけになります。
つまりそこでは、どれだけ多くの生徒を合格させても…いかに難関と言われる大学の合格者を輩出しても…、それによって経済的な恩恵が受けられることはなかったのです。
また、受け持った生徒を合格させることに専念するためには、夜遅くまで入試問題を分析したり・休日も返上してプリントを作ったり・課題や小論文の添削をしたり・個別の電話対応をしたり…と、勤務時間以外にも膨大な時間を取られることが幾度となくありました。
研究・添削・準備・対応などにより、休日であっても仕事に関わることだけで1日が終わってしまうことがある…そのような時間的な拘束も当時の自分にとっては大きな負担になっていたのです。
「仕事として非常にやりがいはあるけれど、その仕事を本当の意味で全うするためには休日も含め膨大な時間を費やすことになる…」「さらにその仕事で大きな結果を出しても、そこまで大きな収入が得られるというわけではない…」
要するに、当時の私は「仕事のやりがいの面ではプラス」「経済的・時間的な面ではマイナス」この二つの間で、葛藤が起き始めていたのです。
もう一つのポイントは…
そしてもう一つのポイント、それは塾講師を長く続けているうちに「そもそも生徒を大学に行かせることにそこまで意味はあるのか…?」という大学進学に対する根本的な疑念が湧くようになってきたことです。
どちらかといえば、こちらのポイントの方がメインになります。
そもそも、大学進学という行為は一つの手段に過ぎません。すでに自分に明確な目標があり、その目標の達成に近づくにあたってその大学が適切な環境になるのであれば、大学進学自体は非常に良い選択肢になります。
しかし現状、大学に進学しようとする人の中にはそうではない人はかなり多くいます。むしろ「特にやりたいこともないし、何をやっていいかわからないからとりあえず大学に行く」という人も結構な数いるのです。
正直、そのような人が大学に行ったところであまり意味はありません。目的意識のない人が大学に行っても次のようなパターンになるだけです。
◎出席が成績に反映される授業は「意味がない・時間の無駄・教授のやる気が感じられない」と思っても単位取得のためだと割り切って出席する
◎出席を取らない授業に関しては、テストの範囲を発表する最後の授業だけ出席して情報収集し、単位のためテスト前だけ必死に勉強する(そのためテスト直前の授業だけ教室は満員)
◎日常の会話やツイッターなどでは「あと二回休んでも単位くる」「一限さぼろうかな」「誰か楽単教えてーー」などの言葉が飛び交い、そもそも大学の授業に興味がなくいかに簡単に単位を取って卒業するかということしか考えていない
上記は大学でよく見られる光景です。目標もないまま大学に行っても、多くの場合このような状態で大学生活を過ごすことになります。
そんな人がそのまま大学を卒業しても「大学で学んだことは何の役にも立たなかった」となるのは当然のことです。これは目標設定に応じた情報処理過程を脳科学的な観点から見た場合にもはっきりと説明がつくことです。
そうなると、現状多くの人にとって大学は教育機関としてはそこまで意味をなしていないことになります。やりたいことも決まっていない多くの人にとっては大学は適切な場所ではないのです。
また、これからの時代を見据えた時に「大学進学→大手企業就職」というのがもはや正当なルートにはならないことも、私はこの頃から気づき始めていました。
かつて一流といわれていた企業でも終身雇用制度を守っていくことは難しく、実際に早期退職者を募ったりリストラを強いるところは当時から複数出始めてきていました。少子高齢化が進行している日本では、今や「大学進学→大手企業就職」というルートが安定をもたらすということはなく、そのような意味でも大学に進学することの意義は昔よりはどんどん薄れてきているのです。
そのようなことを鑑みると、「その大学に生徒を送り出す教育産業としての塾も、果たしてどこまで意味があるのか?」・・・そのような意識が芽生えてきたのです。
そしてその意識は、授業を重ねて生徒を大学に送り出していくごとにだんだん大きくなっていきました。「自分は生徒を大学に送り出しているけど、これは生徒の将来にとってプラスのことなのだろうか…」そんな鬱屈した思いが募ってきたのです。
このような複合的な理由により、「やりがいはあるけれど、このまま続けていくのはどうなのかな…」という疑念はどんどん膨らむことになりました。
おそらく、私が当時の仕事にやりがいすら感じていなかったとすれば、その仕事を続けることにももっと早く疑問を持っていたと思います。当時は感謝されながら自分を進化させられるその仕事内容にやりがいがあるあまり、今充実していると自分で勝手に決め付け、その先のことや社会的意義をあまり考えずにそれで満足していました。
そのような意味では、仕事というのは「やりがいがあるからこそある意味ではタチが悪い」と言えるかもしれません。
そして、今のやりがいある仕事だけをしている生活から一歩引いてみて改めて今後自分のやるべきことを俯瞰して考えてみるために、私は思いきって塾講師から一旦離れる決断をしたのです。
塾講師の環境から離れ、次に向かった先は・・・
「さて、これから何をしようか」
当時、半ば見切り発車的に塾講師をやめた私は、これから自分が本当にやりたいと思うことを探すためにまずはいろいろと時間をかけて調べてみることにしました。
そして自分でさまざま調べていく中で「とあるもの」に一つの可能性を見出します。その「とあるもの」の中に、それまで私が抱えていた閉塞感を払拭するものが見出せるのではないかと漠然と感じるようになったのです。
それが「インターネットビジネス」というものです。
このような事実を知った時、私はそのインターネットビジネスが当時から携わっていた教育産業の負のあり方の突破口になるような気がしたのです。
なぜなら、その「自分の力でお金を稼ぐ」ということが、教育の本来の目的でもある「社会の中で生きる力を身につける」ことに直接関わってくるからです。
そもそも、公教育で生きる力を育むことを本当に謳うのであれば、自分でお金を生み出せるようになる教育は不可欠なはずです。それにもかかわらず、そのような教育をしているところは日本には存在しないのです。
そのような現状から、私には次のような思いが募りました。
「どこの教育産業でも取り入れていない、『インターネットを駆使して自分なりの価値を創造し、自分の力でお金を生み出す』ということこそ、これからの時代の教育において必要なものなのではないか?」
そして当時は自分も仕事を辞めたばかりだったので、現実的に見て、当然自分の新しい稼ぎ口は見つけなければいけません。なので「まずは自分が稼ぐ」という点でも、そのインターネットビジネスには取りかかってみる価値はあるだろうと判断しました。
「インターネットの可能性に期待する高揚感」と「未知の領域に対する妙な緊張感」
この相反する二つの感情を同時に抱いた当時の感覚は、今でも覚えています。
そのような感覚を抱きつつ、私は「会社に就職して給料をもらう」というそれまでの世界とは全く別の「自分でビジネスをしてお金を生み出す」という新たな領域に足を踏み入れたのです。
期待が確信へと変わる
それ以降、私は本格的にインターネットを利用した事業に着手するために基礎からビジネスを学ぶことになります。
初めはいくつかの教材を購入して独学でビジネスを進めていましたが、やがて行き詰まりを感じたため、プロから直接指導を受ける方法にシフトして知識・スキル・思考をじっくりと鍛えていきました。
そして自分が学んだことをもとに…
・ブログやYouTubeなどの媒体を通して自分の考えを発信したり、
・執筆した電子書籍を通してそれまで培ってきた知識やスキルを公開したり、
・オンライン上で複数の人が参加するコミュニティを運営したり、
・私から指導を受けたいと思っている方に個別にコンサルティングを行ったり、
・直接会場に出向いて集団向けのリアルセミナーを実施したり、
などなど、これまで私は様々な活動をしてきました。
今となっては時間にも場所にも囚われず、パソコン1台とインターネットを駆使して「好きな時に・好きな場所で・好きな格好で」自由にビジネスを行うことができています。
インターネットを活用して独自の価値を創造する力を身につけ、たった1回のプロモーションで個人で1000万円という金額を生み出せるようにもなりました(2015年からは法人化しています)
コミュニティ運営やコンサルティングを通して直接指導したコンサル生からは、
・「ピオリムさんのコンサルティングは本物でした」
・「今回のコンサルティングを通して人間的にも成長できたな。と感じます」
・「これほど確かな指導力をもつビジネスパースンには、出会ったことがありません」
といった感想を頂けるようにもなりました。
当時の経済的・時間的側面での難点は解消され、さらに塾講師時代からやりがいを感じていた「人を指導し成功へ導く」ことについても、より高い次元で、とことん突き詰めて活動できているのです。
もちろん、このような状態になるまでに決して全てがとんとん拍子で順調にいったわけではありません。ビジネス未経験者であったが故に思い通りにいかないことなど何度もありましたし、ある程度ビジネスの経験を積んだ今でも日々挑戦と試行錯誤の連続です。
ただそれでも、私にはこれまでの活動を通じて確信していることがあります。それは・・・
◎そしてそのようなスキルをもった人を育成するような指導をすることこそが、今の時代の教育に必要である
ということです。
私はこのことを身をもって体感しました。未知の領域に足を踏み入れる前から期待していたことが、実際に足を踏み入れて活動をしてきた今では確信へと変わったのです。
ネットビジネスから教育革命、そして伝説へ…
そのため、私は今後「インターネットを駆使して本当の意味での『生きる力』をもった人を育成する」そんな教育を、より広範囲でしていこうと考えています。
今の時代における本当の意味での「生きる力」を身に着けられる個人を育成すること、そして学校から社会への新しい架け橋となる教育をリアルの現場でもしていき、そのような活動を通して日本の教育にプラスの影響を与えること、それが私の活動の目標です。
そしてその力を身につけた個人一人ひとりがインターネットを駆使して自分なりの価値を世の中に発信していき、その発信した価値が多くの人にプラスの影響を与え、それが形を変えてでも後世まで伝わっていく…
これはインターネットビジネスに着手してからこれまで、私が一貫してもってきた構想です。このような構想を一言でまとめ「ネットビジネスから教育革命、そして伝説へ…」というフレーズを掲げて当初からずっと活動してきました。
当初から掲げていたこのフレーズも、私にたいした実績もなかった頃には、共感されるどころか、見向きもされず、嘲笑の対象にまでなっていた感もありました。
「こいつは一体何を言ってんだ?」
…と、そのように思われたのはある意味では当然のことだと思います。実績もない人間が壮大な構想を打ち出したところで、多くの人は共感することはありません。
しかし、『燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや』という言葉があるように、本当に高い志は、志の低い人には到底理解できないものです。自分の理念を蔑む人に対しては私は何も言えません。ワンピースの黒ひげも言うように、高みを目指せば出すこぶしの見つからないケンカもあるのです。
そして次第に自分の中の実力を高めていき、私もインターネットビジネスで大きな成果を出していくに従って、かつてのような批判的な声もいつの間にか私の耳には届かなくなっていました。
そしてその後、わずかながらも共感を抱いてくれる人との素晴らしい出会いを経て、今では「インターネットを活用した、今の時代に適した新しい生き方を学び・実践する」というコンセプトをもとにリアルの教育現場でも活動しています。当初から掲げてきた理念も本当に少しずつですが現実味を帯びてきていると感じています。
塾講師としての活動とインターネットビジネスでの活動、この二つがここにきてようやく統合され、高次元に昇華された形となりました。私は今後も自分の構想の実現に向けて終始一貫した活動を進めていくことになります。
もしあなたが今の生活に不満を抱えていたり、将来の生活に不安を抱いていたり、時間的・経済的な面で窮屈な状況に陥っているのであれば、ぜひ私のメールマガジンでの情報を受け取ってみてください。
あなたも「インターネットを使って独自の価値を創り出し、自分自身でお金を生み出す」そのスキルを培うことで、自分の人生の輝きを取り戻すことができます。そしてその活動を通して自分にとっての理想の未来を実現させる、そんなストーリーを紡いでいくことができるのです。
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